せうプロフィール
「もう限界です」
精神科の先生に絞り出すようにこのセリフを言いました。
「・・・少し休んだ方がいいかもしれないね」
そう先生は言って、診断書を書いてくれました。
病名:うつ病
このとき、自分は社会人としての道を脱落したという、諦めにも似た緩い絶望感と会社に行かなくて良くなったという心底ホッとした安堵感を感じたのを覚えています。
初めてのうつは社会人になって10年目
私はIT企業に勤めており、システムエンジニアとして働いています。
2003年に社会人になり、10年会社員と
して中堅の立場でバリバリ仕事を
していました。
当時、トラブル続きのプロジェクトリーダーを
していて、帰りは終電に飛び乗るか、
会社の近くのカプセルホテルに泊まるという
生活を1年近く続けていました。
会社にいる時間だけで年間の法定残業時間
720時間ギリギリで、会社にいない時間も
家やカプセルホテルで仕事をしていました
から、とてつもなくブラックな環境で
仕事をしていました。
終わりの見えない仕事を延々とやっている
間に徐々に麻痺して、
感情がなくなっていたような感覚でした。
つらいとは感じていました、
でも、休もうとは考えられなかった。
自分の代わりはいない、自分にしかできないと
いう思い込みにとらわれて、
自分自身を追い込んでいました。
そんな生活もなんとか終わりを迎え
一息ついたときです。
- 人の話が頭に入ってこない
- 考えがぐるぐる回ってしまい頭が働かない
- 簡単な選択を決められない
- 夜眠れず仕事のことが頭をぐるぐるしてしまう
- 倦怠感で朝起きるのがつらい
こんな状態が自分に起き、最初は疲れが
たまっているのだと考え、
気にしないように努めていました。
しかし、休日にどんなに休んでも、
気分転換をしても症状はよくならず、
徐々に自分でもおかしいと感じ始めました。
そんなとき、わたしと同じような状況で
体調を崩した先輩がうつで休職しました。
わたしと同じように激務で辛そうに
していたので心配をしていたのですが、
ついに倒れてしまったのです。
その話を聞いて、
「もしかして、自分のこれもうつの症状なのかもしれない」
一向に改善されない症状をなんとかしたい
一心で初めて精神科へ行きました。
そこで、初めてうつと診断され、薬を処方されました。
うつと診断されても生活はかわらず
処方された薬を飲みながら、変わらず仕事を続けて
いました。
うつの薬は飲み続けて初めて効果がでてくるもの
ですが、症状は薬飲んでもあまり改善は実感
できませんでした。
原因のストレス要因から離れることができなかった
ため、薬の効果よりも症状の悪化が早かったのです。
そんな状態で薬で症状を抑えながら、なんとか日々を
過ごしていました。
ついに限界がくる
抗うつ薬で均衡を保ちながら仕事をこなして
いましたが、そんなときリスクの高いプロジェクトへ
ヘルプ要員として参加することになりました。
過去の経験を買われて指名されたのはいいのですが、
正直言って不安しかありませんでした。
その時点ではうつで薬を飲んでいることや
通院しているということもオープンにしており、
2週間に一回の通院も配慮してもらっていました。
しかし、そんな配慮も仕事の余裕がなくなれば
ないも同然です。
わたしはたった一人でシステムの根幹部分を担当
することになり、責任の重圧と仕事の負荷が相まって
どんどん体調を崩していきました。
次第に通勤電車の中で体調が悪くなったり、
仕事中に座っているのもしんどくなるなど、
明らかに周りの人に体調を心配される状況になりました。
自分でもだましだまし、なんとか日々を乗り越えて
きていたのですが、ついに限界がきました。
布団から起き上がることができなくなってしまいました。
ここで、もう自分でも限界だと感じました。
主治医の先生に相談し、ついに休職することになりました。
3ヶ月の休職を経て復職
休職でつかの間の安堵感と社会人失格の烙印を押された絶望感を
感じながら自宅療養をはじめました。
家族に対する申し訳なさと働いていないという罪悪感から
一刻も早く職場復帰しなければという思いに囚われていました。
休職2ヶ月ほどで症状は徐々に収まってきました。
症状が収まってくると「もう大丈夫だから早く復帰しなきゃ」
という気持ちに急かされ、主治医の先生にお願いし、
復職可能の診断書を書いてもらいました。
そのときのわたしは復帰のことで頭がいっぱいで
うつの再発防止について考えていませんでした。
うつ病は再発率が50%と言われており、
復帰しても再発を繰り返してしまう病です。
治療とともに再発防止の対策が重要です。
原因を取り除くか、しっかりとした対策をとらなければ
いずれ、症状は再発してしまうリスクが非常に高いのです。
そんな状態で急いで復帰をしてもうつを再発させるのは
時間の問題でした。
復帰直後は休職期間を取り戻したいという思いから、
成果を出したい、自分ができることを証明したいという
気負いがあったのだと思います。
復帰半年はモチベーションも高く、問題なく仕事をこなすことが
できていました。
しかし、半年後に新しい仕事を任されたころから歯車が狂ってきました。
新しい分野の全く経験のない仕事を1から始めるということに
プレッシャーを感じていました。
同時にもともと抱えていた仕事を並行で進めるという役割に
不安を抱えていました。
担当する役割が多く、並行作業を余儀なくされ、
期限に追われることが当たり前の状態となってしまいました。
そのような状態で1つ1つの仕事に十分な時間を
かけることができず、何度も上司のレビューを繰り返し、
指摘を受け続けていました。
思うように仕事を進められないストレスと求められる成果に対する
プレッシャーで徐々に追い込まれていきました。
復職からちょうど1年後うつの症状を再発させ、
布団から起き上がれない状態となってしまいました。
2度目の休職をすることになってしまったのです。
今も薬を飲み、鬱の症状や不安を抱えながら生活しています。
1度目の休職時のようにただ薬を飲み休むだけではダメだ、
そう思い、自分を変えるために何かを始めなければと思いました。
そう思い立ってから手当たりしだいに、
ネットや本に答えを探し始めました。
しかし、医学的な情報は多いですが、うつ当事者の体験談は
なかなか見つかりませんでした。
Twitterで仲間とのつながり
休職してからはほとんど寝たきりで引きこもりに
なっていましたから、家族以外との繋がりが
ありませんでした。
ネットの中で繋がりを持とうとしたのです。
Twitterのアカウントは持っていましたが、
ツイートはしたことがなく、ほとんど見ていませんでした。
Twitterをのぞいてみると自分と同じように苦しんでいたり、
復帰に向けて努力している人が大勢いました。
「あ・・・、自分だけじゃないんだ・・・」
それを知ったとき心が楽になりました。
そして、自分も同じような人たちと繋がりたいと
思ったのです。
ツイートをすることで辛い思いを共感してもらえたり、
頑張っている姿を知ることがとても心の支えになりました。
何よりわたしが発信することに対してレスポンスを
返してくれる人たちがいるということが、
一人ではないと実感を与えてくれるのが
本当にありがたかった。
発信はうつ病を救う
うつ病をきっかけに発信を始めました。
Twitter、そしてこのブログ。
自分の感じたことやもやもやした気持ちを言葉にすることで
それがはっきりとしてきて、自分の内から吐き出すことで
スッキリします。
そして、自分の発信をみて共感してくれた人が理解者となって
仲間の輪が広がっていく。
発信することは自分を救ってくれていると感じています。
これはあくまで自分を救うために始めたものです。
自分を救えない人間が他人を救うなんておこがましいと思っています。
これからも自分のために発信を続けていきたいと思っています。
それでも、もし、こんなわたしのメッセージにも共感してくれる方がいて、
それが誰かの助けになったのなら、こんなにうれしいことはありません。